★Speech in English/スピーチは英語です★今回の
23C3で私のお気に入りだったセッション。
Quinn Norton
のBody Hacking.
体のハッキングってなんだろうってベルリンに着く前から楽しみにしていたら
全く期待を裏切らない面白さでした。
どこからどこまでがハッキングなのか、どこからどこまでが治療なのか、
どこからどこまでが合法なのかどこからどこまでが違法なのか
どこからどこまでが人間でどこまで行ってしまうと人間そのものを変えてしまうのか。
最初はボディピアスのようなものから始まり額に角を作ったりここまではファッションの範疇だろう。
彼女は自分の指に磁石を埋め込んで自分の体をハッキング。
その様子をつぶさに写真でみせてくれるわけだが、当然のことながら磁石が彼女の指に吸いついてくる。
標準の人間よりも身体能力が劣る人間が人並みになるのは、治療と呼ばれ許容されている。
しかし、通常の状態の人間が通常以上になるということは禁止されている。例えばスポーツ選手がドーピングを行うことは違法とされているように。
ところが、戦場に送られた兵士に、睡眠が少なくても覚醒させていく合法の薬物を与えたところ、彼らのパフォーマンスが非常に上がった。これは「通常以上に身体能力を上げている」ことにあたらないのか。
音声を聞くのに全く問題のない人が、Bluetoothのチップを耳に埋め込みたがっているが手術をしてくれる医者がいないらしい。彼の主張としては電話を取らずに電話を受けられるように「便利」にしたいらしいのだがこのbody hackingをどう位置づけるべきなのか。
非常に貧乏な人が教育も受けられずお金を稼げなかったのを、脳をいじくって非常に聡明になり、がんがん稼げるようになる。普通に考えると非常によいことなのだが、これを発展途上国でやり始めるとどんどん頭のいい人間が製造されていき、先進国の労働を圧迫するかもしれない。(というのも単なる先進国のエゴかもしれないが。)そうすると、そういった改造は禁止されて貧乏な人は貧乏なままかもしれないと。(現代の妥当策としてはまあ普通にUNICEFとかが発展途上国で教育水準を上げる努力をしているわけだが。。。)人間の進化、人間の改造をどう考えていくべきなのか。
そもそも人間が昔進化して文字というものを使えるようになったとき、人間の脳は大幅に変わった。識字前も識字以後も人間が人間であることに変わりないが、脳みそは相当違うらしい。そういった人間の変化/進化と比べて頭脳の改造はどれだけの意味を持つのか。
最後は、人間は何をもって人間と言うのかという大きな問いが投げかけられて終了。(一応、色々な国家は「人間は人間でなければならない」ということを前提として色々な法律を作っているようなのでまあ人間でいることが必要なのだということを前提として。人間が人間でなくなってもいいじゃん。。。サイボーグになっても何になっても。。。みたいな議論は今回はしませんでした。)
色々な考えを投げかけるコンテンツといい、プレゼンテーションといい非常〜に面白かった。